プロジェクト離任の夜に

博多駅
博多駅

 2年9ヶ月間従事していたある大手旅行代理店の基幹システム開発から6月30日に離任した。システムエンジニアなら、この任期が終わった瞬間の一種独特の開放感(充実感)を一度は味わったことがあるのではないだろうか。博多はいよいよ山笠の季節だ。熱気のある街で、多くの情報が集まる場所でもある。

 この日は朝から快晴だった。目前の建物はプロジェクトに参画した頃は基礎工事を始めたばかりだったが、大分立ち上がってきた。昨年はぎらぎらとした太陽が眩しすぎたが、今年は日陰が広がっていた。ぼくの一日のスケジュールは、ユニットテストまで完了させた課題をプロジェクトリーダーに引き継ぎを行い、後はローカル環境にあるファイルを取捨選択して、重要なものはファイルサーバーに保管する作業で一日が過ぎてしまった。

 夕方、プロジェクトの主立った方達がぼくのために事務所近くの居酒屋に一席もうけていただいた。去って行くのは名残惜しいが、これも人生そのものだ。7月から何をするのかを訊かれたので、「宇佐津彦清智」の名刺を出して、実は7月30日に著書が出版されるので、その準備でほぼ1ヶ月を費やすだろうことを伝えた。各人びっくりしていたが、ぼくの新しい門出を祝っていただいた。

 ここで失敗はできないなという思いが強くこみ上げてきた。なんとしてでも2万部程度は多くの方に手にしてもらいたい、それを実現するにはどうしたらいいのか、この辺が皆目見当が付かないもどかしさが、ぼくのなかには存在している。これを書いている今も、どうしたらいいのか分からないままなんだけどね。

 みんなで黒霧島のボトルを開けた後、時計を見ると21時過ぎだった。ぼくは行橋に戻る予定だったので、ここで宴は散会となったが、よいチームだったと思う。ただぼくも生きていかなくてはならないので、著書のプロモーションに使える時間は限られている。8月中旬からは、また新たなプロジェクトに参画できるよう、そちらの営業もしていかなくてはならない。7月8日には59歳となる身なので、若い人のようにはスムーズではないかもしれないが、こればかりは頑張るしかない。

 30分ほど時間があったので、近くの一蘭でラーメンを食べる。飲んだ後のラーメンって、なんでこんなに美味いんだろうか。帰りの特急ソニックもこの時間になると空いており、ぼくは黒いガラスの向こうを何となく眺めていた。これまでと同じようにやるしかない。映画「ハートロッカー」の最後のシーンで、主人公が治安の不安定な地域で再び爆弾処理に赴く姿が思い出された。心配など必要がない。その日にやるべきことを黙々とやればよいのだ。

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