安心院 神楽城(竜王城)備忘録

 神楽城は安心院町大字竜王字臥牛に移置し、連郭式山城で、安心院盆地南端の深見川左岸から盆地を見下ろしている。1302年頃、安心院(宇佐)公泰(宇佐大宮司)が八幡宮に詣でた折、一国守護の城を神威に随い草創すべしと願ったところ、安心院の山上と思われるところで経津主神(ふつぬしのかみ)が現れ神楽を奉じる夢を見て目覚めた為、その山上(竜王山:315m)に城を築き神楽城と名付けた。

 1581年に大友宗麟が宇佐宮を焼き討ちするが、安心院家は大友方として参戦した。ただし翌年安心院中務入道麟生が大友家に反旗を翻した。そのため安心院家は大友家に攻められ、1583年に千代松が自害し、安心院家は滅亡する。

 その後、城は1615年の一国一城令により廃城となる。

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