新たに豊前国風土記を造る
宇佐津彦ブログ youtube:宇佐風土記の丘
物語の最初にこの宇佐風土記の丘にある赤塚古墳(最初の前方後円墳)と継体朝終焉時の鶴見古墳を今回は主に取り上げています。これらを詳細に見ていくと、その違いや特徴が顕著です。赤塚古墳には、陪臣の方墳も広がっており、その権力がしっかりと根付いていたことが伺われます。詳しくは、著書「菟狭津彦が見た倭国の歴史」を読んで頂きたいと思います。
歴史研究会 youtube:不彌国の港町草野津(かやのつ)を散策する
著著「菟狭津彦が見た倭国の歴史」で取り扱った不彌国を動画でまとめてみました。ここは正式には延永ヤヨミ園遺跡といい、弥生時代から奈良時代にかけての瀬戸内海最大規模の港湾でした。これも東九州自動車道の工事で発見されたもので、九州北東部はどんどん新しい遺跡が出現してきており、これまで信じられてきた歴史がどうもおかしいぞという感じになってきましたね。かつての京都湾対岸には、福原長者原遺跡という太宰府政庁に匹敵する規模の官衙遺跡も発見されました。しかしこの事実に誰も何も言及しない。たぶんこれまで旧来の歴史観を押しつけてきた人達にとっては、このような新しく発見された遺構は、不都合以外に何物でもないのだろう。だからこそぼくたちが、本当はこれが正しいんじゃないのかと突き付ける必要がある。このような本や動画がその一助になれば幸いです。
宇佐津彦ブログ youtube:菟狭津彦が見た倭国の歴史(闇無浜神社)
瀬織津姫の伝承が残る大分県中津市闇無浜神社を訪れました。豊前国には海岸線に由緒ある神社が多いのですが、これらは古代の禊ぎと深い関係にあると考えられます。現在では瀬織津姫の名が出てくるのは希ですが、海岸線に位置する多くの八幡宮は、それを放生会という形で内包しています。この山国川もそうですが、大河の多くに龍神伝説があり、定期的にその龍神は上流から海に下り、そしてまた戻っていきます。古代から龍神は川そのものに対する畏敬であり、水田の守り神でした。
宇佐津彦ブログ youtube:御所ヶ谷神籠石の動画を編集し直しました
今回オープニングとエンディングを追加してみました。現地に行ってみたくなるようなものになればいいなと思います。御所ヶ谷神籠石は、福岡県行橋市にある遺跡ですが、いつ誰が造ったかが正確に分かっていないものになります。著書では、この疑問に大胆に切り込んでとある回答を記述しています。
歴史研究会 安心院 神楽城(竜王城)備忘録
宇佐家庶流のひとつ、安心院家の居城、神楽城についての記録。新たに豊前国風土記を書くとした場合、この神楽城は是非とも入れたい場所だ。