
宇佐津彦清智
――これまでの研究ノートの考察から
一 結論
結論から言えば、女系天皇は、現行制度の上では認められていない。現在の皇室典範が皇位継承資格を男系男子に限っている以上、制度としてはそのように整理されている。
しかし、これまでの研究ノートの考察から見れば、それをそのまま日本の歴史構造そのものとみなすことはできない。古代日本の王統・神統・祭祀秩序は、最初から固定された一本線として存在していたのではなく、複数の系統が整理され、接続され、再編されながら国家的正統へとまとめられてきた。皇統もまた、その全体構造の中で理解されるべきであり、男系のみを古代以来の唯一絶対の原理とみなすことには無理がある。
したがって、ここで区別すべきなのは、現在の制度として認められていないということと、歴史の本質として絶対に認められないということは同じではない、という点である。これまでの研究ノートの立場から見れば、女系天皇は歴史構造の上では、はじめから絶対に排除されるものとは言いにくい。
ゆえに、本稿の結論は次のようになる。
女系天皇は、現行制度の上では認められていない。
しかし、これまでの研究ノートの考察から見れば、歴史構造の上では絶対に否定されるものではない。
認められない理由は、日本古代の不変の本質にあるのではなく、後代に整えられた皇統観と、それに基づく現在の制度にある。
二 これまでの研究が一貫して崩してきたもの
これまでの研究が一貫して問い直してきたのは、古代日本の王統・神統・祭祀秩序が、最初から完成されたかたちで存在していたという見方である。
一般には、古代の国家秩序や皇統は、はじめから一本の明確な線として続いてきたかのように理解されがちである。神々の系譜も、祭祀の由来も、王権の正統も、あらかじめ整った姿で存在し、それがそのまま後世に伝わったかのように見られることが多い。だが、これまでの研究ノートで繰り返し見えてきたのは、そのような理解では古代史の実態を捉えきれないということであった。
実際には、古代日本の秩序は、後代の政治過程の中で整理され、接続され、再編されながら形を与えられてきた。神名は整えられ、祭祀の由来は組み替えられ、地方にあった伝承は中央の神話体系へと組み込まれていった。もともと異なる背景を持っていた神々や祭祀が、国家的秩序の中で新たな意味を与えられ、一つの物語として束ねられていったのである。
宇佐八幡の成立、大神氏の位置、放生会の性格、ヤハタ神の原像、瀬織津姫の置換、記紀神話の上書き、神功皇后伝承の政治的配置など、これまで扱ってきた諸問題は、いずれもこの構造を示していた。そこに見えるのは、最初から固定された秩序ではなく、複数の系統がせめぎ合いながら、国家的正統へと整理されていく過程である。
つまり、これまでの研究が崩してきたのは、古代の正統性は最初から純粋で不変の一本線として存在していたという見方である。むしろ見えてきたのは、正統とは最初から完成しているものではなく、政治と祭祀の中で整えられ、接続され、承認されることで成立するという事実であった。
この理解に立つなら、皇統だけを特別に切り離し、ここだけは太古からまったく再編もなく、純粋な形で保たれてきたと考えることは難しい。これまでの研究が示してきたのは、古代国家そのものが、複数の伝承と秩序を統合しながら成立したということであり、皇統もまたその歴史構造の中で理解されるべきだということである。
三 皇統は血筋だけではなく、祭祀と承認の構造で成り立つ
これまでの研究ノートで繰り返し見えてきたのは、古代における正統性が、単純な血筋だけで決まるものではなかったということである。
たしかに、王統や皇統を語るうえで血統は重要である。だが、それだけで王権の実態を説明することはできない。古代の王権において本当に問われていたのは、単に誰の子であるかではなく、誰が祭祀を継ぎ、誰が秩序を担い、誰が共同体から正統な存在として認められるかであった。
これは、これまで研究ノートで扱ってきた神々や祭祀の問題とよく似ている。たとえば宇佐八幡の成立を考える場合でも、重要なのは「本来の神格が何であったか」だけではない。むしろ決定的なのは、その神がどのような祭祀の中で継承され、どのような名で再編され、どのような政治秩序の中で国家的な位置を与えられたか、という点であった。正統性とは、単なる出自ではなく、継承と承認の積み重ねによって成立する。
皇統も同じである。天皇とは、単に先帝の血を引く者というだけでは足りない。祭祀を担い、国家秩序の中心として受け入れられ、その地位が共同体によって承認されてはじめて、王権として成立する。言い換えれば、皇統とは血筋の連続であると同時に、祭祀と秩序の継承でもある。
この点を見失うと、皇統をただ一本の父系血統としてのみ理解することになる。しかし、そのような見方では、古代王権の実態は捉えきれない。これまでの研究ノートが示してきたのは、古代の正統性が、血統だけではなく、祭祀・政治秩序・共同体の承認を含んだ、より厚みのある構造として成り立っていたということである。
したがって、皇統の本質を男系血統だけに還元する見方は、古代国家の構造をあまりに単純化している。皇統を理解するには、血筋を見るだけでは足りず、何が継承され、どのように正統化されてきたのかをあわせて見なければならない。
四 「万世一系」をどう見るか
ここで改めて考えなければならないのは、「万世一系」という考え方を、どのように位置づけるべきかということである。
この言葉は、皇統の連続性を示す表現としてきわめて強い力を持っている。とくに近代以降の国家観の中では、日本の秩序と歴史の連続性を象徴する理念として大きな意味を与えられてきた。したがって、この言葉そのものを軽く扱うべきではない。問題は、それをそのまま古代の実態そのものとみなしてよいかどうかである。
これまでの研究ノートが一貫して示してきたのは、古代日本の神話、祭祀、王統が、後代の政治過程の中で整理され、接続され、再編されながら現在見える形へ整えられてきたという事実であった。神々の系譜も、祭祀の由来も、地方伝承の位置づけも、最初から今の姿で固定されていたのではない。むしろ、異なる要素が統合され、国家的秩序の中で新たな意味を与えられることによって、一つの体系としてまとめられていったのである。
このように見るなら、「万世一系」とは、古代の複雑な現実をそのまま写した言葉というより、そうした複雑さを国家の連続性という形で表現した理念的な言葉として理解する方が自然である。そこにあるのは、無数の揺らぎや重なりを含んだ歴史の現実そのものではなく、それらを統合した後に示される国家的な自己表現である。
つまり、「万世一系」はまったくの虚構だということではない。皇統の連続を表そうとする表現として、それ自体に歴史的意味はある。だが、その言葉を理由にして、古代の王統や祭祀秩序が最初から一度の再編もなく、完全に同じ原理で続いてきたと考えるなら、それは歴史の実態を単純化しすぎることになる。
これまでの研究ノートの文脈で言えば、問題はまさにそこにある。古代国家の成立そのものが、複数の伝承、祭祀、神名、王権表現を整理しながら進んだのであれば、皇統の連続もまた、そうした歴史構造の中で理解されるべきである。「万世一系」は、その複雑な過程を経たうえで示された国家的理念であって、無加工の古代的事実をそのまま指す言葉ではない。
したがって、「万世一系」をどう見るかという問いに対しては、こう答えるべきである。すなわち、それは皇統の連続性を表現する強い理念でありうるが、その理念をそのまま古代の具体的現実と重ねてしまってはならない、ということである。歴史の実態は、もっと複雑であり、もっと再編的であり、そのうえで後に一本の連続として語り直されているのである。
五 女性天皇の存在が示すもの
女性天皇の存在は、皇位の正統性が単純に「男性であること」だけによって決まっていたのではないことを示している。
たしかに、制度史の上では、「女性天皇は存在したが、女系天皇はいなかった」という整理がなされる。この区別自体は重要であり、混同すべきではない。だが、ここで本当に考えるべきなのは、歴史上、女性が天皇として立ちえたという事実が何を意味しているかである。
もし皇位の正統性が、厳密に父系男子という一点だけで支えられていたのであれば、女性天皇の存在そのものが成り立ちにくい。ところが実際には、女性天皇は歴史の中で繰り返し現れている。これは、皇位の継承において問われていたものが、単なる性別や血統の機械的な条件だけではなかったことを示している。
ここで見えてくるのは、古代の王権が、血統だけでなく、祭祀、政治秩序、そして共同体による承認の上に成り立っていたということである。誰が皇位を継ぐかは、単に父親が誰かという問題ではなく、誰がその時代の秩序を担い、祭祀を継承し、正統な存在として受け入れられるかという、より大きな構造の中で決まっていた。女性天皇の存在は、まさにそのことを物語っている。
これまでの研究ノートの流れに即して言えば、ここでも重要なのは、正統性が単なる出自ではなく、継承と承認の構造によって成立していたという点である。神々の祭祀や地方伝承が、単純な系譜だけではなく、どのように整理され、どのように国家秩序の中に位置づけられたかによって意味を与えられてきたように、皇統もまた、誰がその秩序を担う者として認められるかによって成り立っていた。
その意味で、女性天皇の存在は、皇位が最初から最後まで単純な男系男子原理だけで動いていたわけではないことを示す、重要な歴史的事実である。もちろん、そこから直ちに女系天皇が実現していたとまでは言えない。だが少なくとも、皇位の正統性が「男性であること」だけに還元できないことは、女性天皇の存在そのものが明らかにしている。
したがって、女性天皇の存在が示すものは、単なる例外の存在ではない。それはむしろ、皇統の正統性が、血統だけではなく、祭祀・政治秩序・共同体の承認を含んだ、より厚みのある構造によって支えられていたことを示すものである。これまでの研究ノートの立場から見れば、この事実は、皇統をただ一本の男系血統としてのみ理解する見方の限界を、静かに示している。
六 これまでの研究から見た「女系否定論」の弱点
これまでの研究から見ると、女系否定論には大きく三つの弱点がある。
第一に、皇統だけを特別に、まったく手を加えられていない純粋な一本線として見てしまうことである。
これまでの研究ノートで繰り返し見えてきたのは、古代国家の秩序そのものが、後代の整理と再編の上に成り立っているという事実であった。神名は整えられ、祭祀の由来は組み替えられ、地方伝承は中央神話へ接続されていった。つまり、古代の正統性は、最初から完成したかたちで固定されていたのではなく、政治過程の中で整理され、国家的な物語としてまとめ直されてきたのである。
そうである以上、皇統だけをこの全体の外に置き、ここだけは一切の再編もなく、太古から純粋な男系原理だけで続いてきたとみなすのは不自然である。神話も祭祀も伝承も再構成されているのに、皇統だけがまったく無加工のまま残ったと考える方が、むしろ歴史の実態から遠い。
第二に、王権を血統だけで説明しようとすることである。
古代の王権は、単なる生物学的な継承ではなかった。重要だったのは、誰の子であるかだけではなく、誰が祭祀を継ぎ、誰が政治秩序を担い、誰が共同体から正統と承認されるかということであった。王とは、ただ先王の子である者ではなく、祭祀と秩序の継承者として認められた存在であった。
このことは、これまで扱ってきた宇佐八幡や大神氏、放生会、神名の整理といった問題にも通じている。そこでは常に、「本来どうであったか」だけではなく、「何が継承され、どのように正統化されたか」が問われていた。皇統についても同じである。父系血統だけを絶対条件のように取り出してしまえば、古代王権が本来持っていた祭祀的・政治的な厚みを見失ってしまう。
要するに、女系否定論は、皇統を血の線だけの問題として見すぎているのである。
しかし、これまでの研究ノートが示してきたのは、古代の正統性とはそのような単純なものではなく、血統、祭祀、政治秩序、共同体の承認が重なり合って成立する構造だったということである。
第三に、後代に整えられた皇統観を、そのまま古代の現実とみなしてしまうことである。
これまでの研究ノートが明らかにしてきたのは、古代の神話や王統を理解するためには、後世の完成した説明をそのまま過去へ投影してはならないということであった。ところが女系否定論はしばしば、後代に強く整理された「男系中心の皇統観」を、そのまま古代以来の絶対原理であるかのように扱う。しかし実際には、古代国家の成立そのものが、複数の伝承や祭祀を統合しながら進んだ過程であった。そこに見えるのは、単純で不動の一本線ではなく、整理され、接続され、正統化されていく構造である。
要するに、女系否定論は、皇統を血筋だけの一直線として見すぎているのである。だが、これまでの研究ノートが示してきたのは、古代の正統性とはそのような単純なものではなく、血統、祭祀、政治秩序、共同体の承認が重なり合って成立するものだったということである。その意味で、女系天皇を絶対に否定する議論は、歴史の複雑な実態そのものというより、後代に整えられた理念を強く反映した見方だと言うべきである。
七 では、これまでの研究の立場ではどう答えるべきか
以上を踏まえるなら、この問いに対する答えは、かなり明確になる。
女系天皇は、少なくとも歴史構造の上では、はじめから絶対に排除されるものとは言いにくい。これまでの研究ノートで見えてきたのは、古代日本の王統・神統・祭祀秩序が、単純で固定した一本線として存在していたのではなく、複数の系統が整理され、接続され、再編されながら国家的正統へとまとめられてきたという事実であった。そうである以上、皇統についてだけ、男系だけが古代以来の唯一絶対の原理であったとみなすのは難しい。
もちろん、現行制度は別である。現在の皇室典範は皇位継承資格を男系男子に限っており、その意味で制度上、女系天皇は認められていない。したがって、現実の制度としては不可である。この点は明確に区別しなければならない。
しかし、ここで問われているのは、制度がそうなっているということと、それがそのまま歴史の必然であるかどうかとは別だということである。これまでの研究ノートの立場から見れば、女系天皇が認められない理由は、日本古代の本質にあるというより、後代に整理された皇統観と、現在の制度にあると考える方が自然である。
言い換えれば、問題の中心は、女系天皇が歴史に反するかどうかではない。むしろ、どのような皇統観を正統とみなし、どのような制度を選び取るかという、後代の判断の問題である。古代の実態そのものが、女系を絶対不可能とするほど単純ではなかった以上、女系否定をそのまま歴史の結論とみなすことはできない。
したがって、これまでの研究の立場からは、次のように答えるべきである。
女系天皇は、現行制度の上では認められていない。
しかし、歴史構造の上では、はじめから絶対に否定されるものとは言えない。
認められない理由は、日本古代の動かしがたい本質というより、後代に整えられた皇統観と、それに基づく現在の制度にある。
これが、これまでの研究ノートの流れに即した、もっとも自然な答えである。
八 最終結論
以上を踏まえるなら、結論は明確である。
女系天皇は、現行制度の上では認められていない。現在の皇室典範が、皇位継承資格を男系男子に限っている以上、制度としては不可である。この点は動かない。
しかし、これまでの研究ノートの考察から見えてくるのは、それがそのまま歴史の必然を意味するわけではないということである。古代日本の王統・神統・祭祀秩序は、最初から固定された一本線として存在していたのではなく、複数の系統が整理され、接続され、再編されながら国家的正統へとまとめられてきた。皇統もまた、そのような歴史構造の中で理解されるべきであり、男系のみを古代以来の絶対原理とみなすことは難しい。
また、女性天皇の存在が示すように、皇位の正統性は単なる父系血統だけによって成立していたのではなく、祭祀の継承、政治秩序の維持、共同体による承認といった、より厚みのある構造に支えられていた。そうである以上、女系天皇を絶対に否定する議論は、歴史の複雑な実態そのものというより、後代に整えられた皇統観を強く反映したものと見るべきである。
したがって、これまでの研究ノートに基づく最終結論は、次のようになる。
女系天皇は、現行制度の上では認められていない。
しかし、歴史構造の上では、はじめから絶対に排除されるものとは言えない。
認められない理由は、日本古代の不変の本質にあるのではなく、後代に整えられた皇統観と、それに基づく現在の制度にある。
つまり、女系天皇否定は、歴史そのものが導く唯一の結論ではない。
それはむしろ、どのような皇統観を採るかという、後代の制度的・理念的な選択の問題なのである。


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