【考察】天孫降臨の本当の場所はどこか

宇佐津彦清智

天孫降臨の場所をめぐっては、高千穂町説や霧島連峰説などがよく語られる。だが問題は、単にどの山に比定できるかではない。『古事記』がこれほど緻密に編まれた政治神話であるならば、天孫降臨の舞台もまた、王権神話の構造において必然性を持つ場所でなければならない。本稿では、天孫降臨を万世一系の前史を埋める装置として捉えたうえで、その舞台が九州倭国王権の始原と接続する実在地、すなわち久住連山であった可能性を考える。なお、筆者はこれまでの研究ノートにおいて、邪馬壹国の所在を現竹田市中に求めてきた。本稿はその延長上で、天孫降臨神話の地理的基盤を再検討するものである。

一 問題は「高千穂はどこか」ではない

天孫降臨をめぐる議論は、しばしば地名比定の問題へと縮小される。高千穂は宮崎県北部か、霧島連峰か、あるいは別の山地か。そのような問い自体は無意味ではない。だが、そこで止まってしまえば、『古事記』という書物の本質を見失うことになる。『古事記』は、古伝承を雑然と並べた神話集ではない。王権の起源とその正統性を、神話の形式を用いて再編した構成物である。であるならば、天孫降臨の場所もまた、単なる伝承の残滓として置かれているのではなく、王権の始原をどこに固定するかという重大な問題と結びついているはずである。

重要なのは、どの地名がどの山に最も近いかではない。重要なのは、古事記編纂者が、なぜその場所でなければならなかったのかという点である。天孫降臨の舞台は、単なる神話の背景ではない。それは、天上の秩序が地上へ移り、のちの天皇制へつながる起点を定める場所である。そこに偶然が入り込む余地は小さい。ここを見誤ると、天孫降臨はただの壮麗な神話に見える。だが構造から見れば、それは王権の起点を地上に固定するための極めて政治的な設定なのである。

二 天孫降臨は万世一系の前史を埋める神話装置である

天孫降臨の本質は、天つ神の系統が地上へ入ることで、後の王権を天上起源として正当化する点にある。ここで大事なのは、単に天孫が降りることではない。天照の系譜が地上へ入ることで、神武以後の天皇制が、地上で自然発生した権力ではなく、あらかじめ天上から予定されていた秩序として語られることである。

しかし、ここで一つの問題が生じる。神武以前に九州に存在したはずの倭国王権を、どう扱うのかという問題である。もし九州段階の王権が皇統の外にあるなら、神武以後の大和王権だけを万世一系として語ることはできない。そこには断絶が生じる。したがって、万世一系を神話的に成立させるためには、大和王権だけでなく、その前段階にある九州の王権もまた、皇統のうちに組み込まれていなければならない。

この意味で、天孫降臨は単なる起源神話ではない。それは、神武以前の九州段階をも含めて、王権の歴史を一本の系譜へ収めるための前史編成なのである。九州の倭国王も皇孫でなければならなかった。だからこそ、天孫は大和ではなく九州に降りる必要があった。天孫降臨とは、九州の王権を皇統の外部に置かず、その始まりからすでに天照の系譜に属するものとして再定義する装置だったのである。

三 だから降臨地は実在の政治的起点でなければならない

このように考えると、降臨地は単なる象徴地名では足りないことが分かる。王権の前史を埋め、九州段階の倭国王権を皇統に組み込むのであれば、その舞台は実在の地理の上に置かれていなければならない。架空の聖地では弱い。現実の読者にとって、そこが確かに九州のどこかとして思い描ける場所でなければ、神話は王権史の基盤になりえない。

『古事記』は「筑紫の日向の高千穂の久士布流多気」と、かなり具体的に地名を重ねている。これは単なる詩的表現ではない。神話の舞台を、読者に通じる現実地理へ固定しようとする意志の表れと見るべきである。天孫降臨が、後の天皇制を支える前史編成である以上、その出発点は実在性を持たねばならなかった。ここでは、神話は空中に浮いていてはならない。実在の山、実在の土地、実在の地域秩序に接続していなければならないのである。

したがって問題は、どの候補地が後世の伝承を多く残したかではない。古事記編纂者が、九州倭国王権の始原をどこに見ていたか、そしてそれを皇統の起点としてどこへ固定したかである。この観点に立つなら、降臨地の比定は一気に政治的意味を帯びる。

四 高千穂の久士布流多気は久住連山ではないか

では、その場所はどこか。筆者は、高千穂の久士布流多気を久住連山に求めるのが最も筋が通ると考える。

第一に、九州でなければならない理由がある。天孫降臨は、神武以後の大和王権だけでなく、その前段階にある九州倭国王権をも皇統のうちに収めるための装置であった。である以上、その舞台は九州でなければならない。大和では遅すぎる。そこではすでに完成した王権しか語れないからである。必要だったのは、天上の系譜がまず九州に降り、そこで地上王権としての形を取り、そののち東へ展開したと語ることだった。

第二に、九州の中でも日向である理由がある。ここでいう日向は、単なる県域名称ではない。王権神話の始原にふさわしい、神話化された九州の名である。九州の現実政治の中心をそのまま降臨地に置けば、生々しさが強すぎる。だが日向という名を用いれば、九州の王権段階を皇統に含めながら、その起点を始原的・象徴的に整えることができる。日向は、現実の九州王権をそのまま書くための名前ではなく、それを神話的に浄化して王権起源の舞台へ転化するための名前だったと見るべきである。

第三に、その日向の高千穂の久士布流多気が、久住連山であった可能性である。ここで決定的なのは、筆者がこれまでの研究ノートにおいて、邪馬壹国の所在を現竹田市中に求めてきたことである。もし邪馬壹国の中核が竹田市周辺にあったなら、そこに連なる久住連山は、九州倭国王権の始原と接続する最もふさわしい山地となる。天孫降臨が、九州倭国王権を皇統の前史として取り込む神話である以上、その舞台は王権の現実的起点に近くなければならない。久住連山は、その条件を満たしている。

ここで重要なのは、久住連山説が単なる音の類似や局地伝承の多寡に依拠していないことである。問題は、古事記全体の構造から見て、どの場所が最も必然的かである。高千穂町説や霧島説は、それぞれに伝承や後世の信仰を持つだろう。だが、古事記編纂の政治的意図、すなわち万世一系の前史編成という観点から見るならば、それだけでは弱い。神話の舞台が、九州倭国王権の始原と接続していなければならないとするなら、高千穂の久士布流多気は久住連山と見るのが最も整合的である。

言い換えれば、天孫降臨の舞台は、単なる聖地ではない。それは、九州倭国王権を皇統の始原へと変換するための現実地理上の接点である。その役割を果たせる場所として、久住連山はきわめてよくはまるのである。

五 結論

天孫降臨の場所を考えるとき、問題は「高千穂はどこか」という地名比定だけではない。問われるべきなのは、『古事記』編纂者が、なぜその場所を王権起源の舞台として選ばねばならなかったのかということである。天孫降臨が万世一系の前史を埋める神話装置である以上、その舞台は九州倭国王権の始原と接続しうる実在地でなければならなかった。

この観点に立つなら、九州であることも、日向であることも、偶然ではない。九州は倭国王権の前段階を皇統へ組み込むために必要であり、日向はその九州を神話的始原へと整えるために必要だった。そして、その具体的な着地点として最も筋が通るのが久住連山である。とりわけ、邪馬壹国の所在を現竹田市中に求めてきた筆者の研究の延長上では、高千穂の久士布流多気を久住連山とみることは、単なる比定の一案ではなく、古事記の王権神話構造を最も自然に説明する結論となる。

したがって、天孫降臨の本当の場所はどこかという問いに対して、筆者はこう答えたい。
それは、久住連山である。
なぜならそこは、天上の系譜が地上王権へ移る最初の舞台であり、九州倭国王権の始原を皇統の起点として包み込むために、古事記編纂者がどうしても必要とした場所だからである。

※本稿は九重山を天孫降臨の史実の現場として実証するものではない。奈良時代の記紀編纂において、なぜこの地が神話の舞台として構成されたのかを考察するものである。

本稿で触れた点は、あくまで一つの断片に過ぎない。
これらを全体像として捉えたとき、また別の輪郭が浮かび上がってくる。
その整理は、『菟狭津彦が見た倭国の歴史』にまとめている。
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