歴史研究会

【考察】なぜ大宜都比売は殺されるのか

『古事記』の中でも、大宜都比売神の殺害場面はとりわけ異様である。 食物を供する神が、なぜ殺されなければならなかったのか。しかも、その死体から五穀や蚕が生じ、それが「種」とされる。ここでは単なる残虐譚とも、単純な食物起源説とも言い切れない、不思議な構造が見えている。 本稿は、この場面を食物神の否定としてではなく、未分化な食物供給が分解され、再編される神話として読み直すものである。
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【考察】素戔嗚神話の再検討

―追放・八岐大蛇・草薙剣を、白村江後の近江朝再編として読む― 一 はじめに 素戔嗚神話は、古事記神話の中でも、とくに政治的に読まれるべき部分を含んでいる。 高天原で乱暴を働き追放される素戔嗚は、その後、出雲で八岐大蛇を退治し、大蛇の尾から得た剣を天照へ献上する。『古事記』本文でも、素戔嗚は高天原を追われたのち、足名椎・手名椎と櫛名田比売に会い、八人の娘のうち七人までが「年ごとに」大蛇に食われ、最後の一人が今まさに犠牲になるところだと聞かされる。そして大蛇を退治したのち、尾から現れた剣を天照に献上する。  この神話は、表面上は荒ぶる神の追放と怪物退治の物語である。 しかし構造を見れば、そこには • 旧秩序からの離脱 • 長期化した外圧 • 危機下での再編 • 王権の回収 • 最終正統への返還 という、きわめて政治的な流れがある。 本稿では、この素戔嗚神話を、白村江敗戦後の倭国再編、とくに近江朝を半独立的な臨時倭国政府として捉える視点から再検討する。 ここでいう近江朝とは、完成された巨大王都ではなく、唐の強い管理・監督圧力の下で、そこからの離脱と再編を図るために置かれた小規模な政治中枢である、という理解である。近江大津宮への遷都は667年、天智の死は671年であり、近江朝の実質的期間はきわめて短い。 
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【考察】黄泉国神話の再検討

『古事記』の黄泉国訪問は、一般には死者の国をめぐる神話として理解されてきた。 しかし、この場面を単なる死後世界観の表現として読むだけでは、火神誕生、伊弉冉の死、そしてその直後に置かれた金山神の出現という配列の意味を、十分に説明したことにはならない。 伊弉冉は火之迦具土神の出生によって焼かれて神避りし、その文脈の中で金山毘古神・金山毘売神が現れる。ここでまず重視すべきは、神話の展開が単なる死と嘆きで終わらず、火の出現と金属変成の契機を強く印象づけるよう構成されていることである。 したがって本稿では、黄泉国訪問を単なる死者訪問譚としてではなく、火と鉄によって従来の秩序が崩壊し、新たな世界原理が姿を現す場面として再検討したい。
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【考察】豊玉姫神話は何を隠し、何を保存したのか

豊玉姫神話は、海神の娘との婚姻譚として理解されることが多い。しかし、皇統成立直前の接続部にこの神話が置かれていることの意味は、単なる海神婚の枠では説明しきれない。とりわけ決定的なのは、豊玉姫が単なる海の姫としてではなく、出産の局面で「八尋和邇」の姿を現す存在として描かれている点である。國學院大學の神名データベースでも、豊玉毘売は火遠理命の子を産む際に「元の姿」に戻って生み、その姿を見られたことで海坂を塞いで帰る存在として整理されている。これは説話上の印象を強めるだけの細部というより、神話全体の意味を決める核心的設定である。 ここで注意すべきなのは、われわれが扱っているのが「史実としての豊玉姫」ではなく、「記紀編纂者がその位置に何を書き込んだか」という問題だということである。豊玉姫譚は、遠い神代の一挿話として置かれているのではない。鵜葺草葺不合命を介して、そのまま神武以前の系譜接続部へつながっている。つまり、王統の起源をどう語るかという最も敏感な場所に、この異界婚姻譚が据えられているのである。鵜葺草葺不合命の項でも、火遠理命と豊玉毘売の子として生まれ、その後に叔母である玉依毘売を娶って神武へ続くことが整理されている。 本稿では、この配置は偶然ではなく、記紀編纂における意図的処理の結果であると考える。すなわち豊玉姫神話は、単なる海神婚伝承ではなく、表の系譜としては直記しにくい王統記憶を、異界婚姻譚へ変換して保存した痕跡として読むことができるのではないか、という可能性を検討する。豊玉姫は、海神の娘として語られていると同時に、正史の表面からは見えなくなった母系の痕跡を担わされている可能性がある。これは断定ではなく仮説であるが、豊玉姫の異様な目立ち方を説明するうえで有力な見方になりうる。
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【考察】人はなぜ大和王権にこだわるのか?

古代史をめぐる議論では、「大和王権」という語がきわめて自然な前提として用いられることが多い。 それは教科書的叙述においても、一般向け歴史解説においても、さらには邪馬壹国論や倭国論を論じる場においても同様である。多くの場合、「大和王権」は、早い時期から日本列島の政治的中心として存在し、諸地域を次第に統合しながら、後の国家へと連続していく主体として理解されている。 だが、この語がここまで強い説得力を持つのはなぜだろうか。 それは単に史料上の裏付けが十分だから、というだけではない。むしろそこには、複雑な歴史を一つの中心にまとめたいという認識の癖、断絶よりも連続を好む理解の傾向、そして8世紀に整えられた歴史像をそのまま古い時代にまで投影してしまう構造があるように思われる。 本稿は、大和王権の実在そのものを直接否定することを目的とするものではない。 そうではなく、なぜこの語とこの構図がこれほど強く支持されるのか、その背景にある歴史認識のあり方を考えてみたい。
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【考察】天孫降臨の本当の場所はどこか

天孫降臨の場所をめぐっては、高千穂町説や霧島連峰説などがよく語られる。だが問題は、単にどの山に比定できるかではない。『古事記』がこれほど緻密に編まれた政治神話であるならば、天孫降臨の舞台もまた、王権神話の構造において必然性を持つ場所でなければならない。本稿では、天孫降臨を万世一系の前史を埋める装置として捉えたうえで、その舞台が九州倭国王権の始原と接続する実在地、すなわち久住連山であった可能性を考える。なお、筆者はこれまでの研究ノートにおいて、邪馬壹国の所在を現竹田市中に求めてきた。本稿はその延長上で、天孫降臨神話の地理的基盤を再検討するものである。 一 問
宇佐津彦ブログ

古い記憶

先祖の記憶をそのまま受け継いでいるのかは分からない。だが、古い土地や伝承に触れると、自分の中にそれに応答する感覚がある。 宇佐津彦清智
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【考察】天岩戸神話が指し示す事実

天岩戸神話は、単なる太陽神話として読むだけでは足りない。そこには、中心的存在の退隠、世界の混乱、そして再顕現による秩序回復という、きわめて明確な政治的構図がある。この構図は、大海人皇子の吉野退去とその後の再起、さらに天武朝による王権の自己正当化と深く響き合っている。したがって天岩戸神話は、自然現象の説明にとどまる神話ではなく、壬申の乱を経て成立した新たな王権が、自らの成立事情を神話的秩序の中に置き直した痕跡として読むことができる。 天岩戸神話の核心は、天照大神が岩戸に隠れたことで世界が暗くなり、神々の働きも停滞し、やがて再び天照が現れることで秩序が回復するという点にある。ここで重要なのは、天照が単に姿を消すだけの神ではなく、世界の中心として機能していることである。中心が隠れれば世界は乱れ、中心が戻れば秩序が回復する。この構図は、神話の内部では宇宙的事件として描かれるが、政治的に読み直せば、正統な中心の退隠と帰還を語る型になっている。 この型を歴史の側に引き寄せると、大海人皇子の吉野退去はきわめて象徴的な意味を帯びる。大海人皇子は、近江朝廷の中枢から離れ、表向きには出家的身振りを伴って吉野へ退いた。だが、それは単なる敗走や失脚ではない。むしろ、公的世界からいったん姿を消しながら、後の再起へ向かう沈潜の段階として理解すべきである。つまりここで起きているのは、中心的存在の消滅ではなく、いったん不可視となることである。まさにこの点で、大海人皇子の吉野退去は、岩戸に隠れる天照大神の構図と重なる。
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【考察】出雲国譲り神話は何を語るのか

出雲国譲り神話とは何か。 一般には、出雲の神である大国主神が治めていた国を、天照大御神の側へ譲る神話として理解されている。神社本庁の説明でも、国譲りは「大国主神が治めてきた豊葦原水穂国が天照大御神の御子に譲られる経緯」を語るものとされる。 しかし、この神話をそのまま「出雲支配の説明」と見ると、どうしても不自然な点が残る。 最大の問題は、国を譲らせる舞台が出雲であるにもかかわらず、天孫降臨の舞台が日向に置かれていることである。もし主題が「出雲を征服し、その地を直接支配した」という物語であるなら、天孫はそのまま出雲に降ってよいはずである。ところが神話はそうは構成されていない。ここから見えてくるのは、国譲りの意味が出雲という土地の取得そのものにはなく、むしろ新しい王権が地上支配の正統性を得るために、どこかの高位の旧秩序から承認を受ける必要があった、という点である。すなわち、国譲りは領土獲得譚ではなく、正統性付与の儀礼的神話として読むべきなのである。
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【考察】月読尊とはなにか

月読尊とは何か。 記紀神話の中で、この神ほど高位でありながら輪郭の薄い神は少ない。天照大神・須佐之男命と並ぶ三貴子の一柱でありながら、天照のように国家神話の中核へ成長することもなく、須佐之男のように多くの物語を担うこともない。高位に置かれながら、沈黙している。この不自然さは、月読尊が古代から自明に広く信仰された強い独立神だったのではなく、夜・月・暦・統治に関わる古い秩序の記憶を、記紀編纂の過程で高位神として再構成した存在である可能性を示している。『日本書紀』では本文が単に「月神」とし、異伝で「月弓尊」「月夜見尊」「月読尊」など複数の名が現れる。国学院大学の解説でも、これらは原資料ごとの神名の違いを反映し、元来は別神だったものが編纂時に統合された可能性があるとされる。 この問題を考える上で、まず注目すべきは『古事記』の月読命である。『古事記』の三貴子分治では、伊邪那岐命は天照に高天原、月読命に「夜之食国」、須佐之男に海原を割り当てる。ここで重要なのは、「夜の国」ではなく「夜の食国」と書かれている点である。国学院大学の注釈は、この「夜之食国」が『日本書紀』のどの伝にも見えないこと、また「食国」が単純な自然領域ではなく統治領域を意味する重い語であることを指摘している。つまり月読命は、単なる月の神ではなく、夜に属する統治秩序を担う神として、かなり意図的に高位に置かれている。 では、その「夜の統治秩序」とは何か。 ここで外部史料として決定的なのが『隋書』俀国伝である。そこには、倭王は「天を兄とし、日を弟とし、天未だ明けざる時に出でて政を聴き、日出ずれば理務を停め、我が弟に委ねむと言う」と記されている。つまり倭王は、昼ではなく未明の側に主位を置き、日中の政務を「弟なる日」に委ねるとされたのである。これは後の律令国家が整える朝中心の秩序から見ると、著しく異質な王権観である。少なくともここには、夜から朝にかけての時間帯を統治の本場とみなす観念が存在していた。
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