歴史研究会 【考察】推古以後の皇位継承を考察する
『古事記』は下巻において推古天皇までを収めて終わる。これは周知の事実だが、王統の連続性を考えるうえでは、ただの編集上の区切りとして済ませにくい。『古事記』は神代から歴代天皇を連ねてきた書であり、その性格からすれば、そのまま舒明以後へ接続してもよかったように見える。にもかかわらず、実際には推古で筆を止め、舒明以後の叙述は『日本書紀』に委ねられている。『古事記』が天皇を中心とする国家形成と皇位継承を記し、奈良時代国家の理論的・精神的支柱として位置づけられていたことを考えれば、この停止線は軽くない。
この点をどう考えるか。
一般には、推古以後が編纂時点に近すぎたために、『古事記』はそこまでを対象にしたのだと説明される。しかし、それだけでは弱い。近い過去であるというだけなら、簡略な形で舒明を入れることも可能だったはずである。問題は、推古以後が単なる「次代」ではなく、後代王権にとって自らの成立をどう語るかに直結する領域だったことにある。
本稿では、推古以後の皇位継承を、単純な歴代天皇の並びとしてではなく、記紀編纂における王統接続の核心部として考えてみたい。焦点は、推古から舒明への接続がどれほど自明であるかではない。むしろ、なぜそこだけ叙述の仕方が変わるのか、そしてなぜその接続が後代史書に強く依存しているのかである。