歴史研究会

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【研究ノート6】不弥国試論

延永ヤヨミ園遺跡を中心とする行橋・京都平野東部を、不弥国の有力候補として捉える視点は、十分に成り立つ。もちろん、不弥国の比定地については現在も諸説があり、糟屋郡周辺や飯塚周辺に求める見解も根強い。したがって現段階で断定することは避けるべきであるが、それでも地理的条件、遺跡の性格、さらに景行天皇伝承との対応を総合すると、北東部九州のこの地域を不弥国とみる方が、むしろ自然ではないかと考えられる。 
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【研究ノート5】瀬織津姫の古代的位置―神話から外された祓神

瀬織津姫は、古代神祇の中でも特異な位置にある。よく知られているように、瀬織津姫は『古事記』『日本書紀』の中心神話にはほとんど姿を見せない。他方で、祓の実務を担う祝詞、とりわけ大祓詞では、罪穢を川の瀬から大海へ流し去る祓戸神として重要な位置を占める。すなわち瀬織津姫は、神話の中心には置かれなかったが、祭祀の現場からは排除されなかった神である。
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【研究ノート4】宇佐八幡成立期における大神氏の顕在化について

宇佐八幡成立史を考える際、宇佐氏と辛島氏に比べて、大神氏だけがきわめて捉えにくい。宇佐氏には『日本書紀』神武紀の菟狭津彦・菟狭津媛という神話的祖形があり、辛島氏にも豊前国における秦系勢力の痕跡や関連神社をたどりうる余地がある。これに対して大神氏は、後代には大宮司家として重い位置を占めながら、創建以前の同時代的痕跡が薄く、対応神社も曖昧である。この不均衡は、単なる史料散逸として処理するより、大神氏の成立・前面化の仕方そのものを示す可能性がある。
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【研究ノート3】法蓮による仏教的安定化

 宇佐における法蓮の役割は、単なる「弥勒寺初代別当」では捉えきれない。法蓮の本質は、宇佐の在地神威を仏教的秩序へ組み替え、政治的にも宗教的にも不安定な場を安定化することにあったと考えられる。[1]  法蓮が史料上はっきり現れるのは大宝三年(703)である。『続日本紀』系の整理によれば、法蓮は医術の功によって豊前国の野四十町を与えられており、これは彼が地方の無名僧ではなく、朝廷に認知された実務的宗教者であったことを示す。[2] また、養老五年(721)には法蓮の三等以上の親族に宇佐君姓が与えられたとされ、法蓮が宇佐在地の有力層と深く結びついていたことがうかがえる。[3] すなわち法蓮は、中央に届く力を持ちながら、同時に宇佐の内部に根を持つ宗教者であった。
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【研究ノート2】天平八・九年疫病危機と宇佐放生会の仏式成立

宇佐放生会の起源については、従来、隼人征討後の殺生贖罪や鎮魂儀礼として理解されることが多かった。しかし検討を進めると、放生会の実質的成立は、伝承上の養老年間や天平十六年ではなく、天平八・九年(736–737)前後に求める方が自然であるように思われる。すなわち、隼人征討は後代に整えられた起源神話として利用され、実際の祭礼成立を促した最大の契機は、九州を起点として広がった天平の疫病危機であった可能性が高い。
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【研究ノート1】放生会=宇佐八幡成立の原点

拙著『菟狭津彦が見た倭国の歴史』を書いた際、宇佐八幡の成立についていくつかの疑問が残った。特に「放生会」「大神氏」「疫神祭祀」の関係である。本書を書き直すつもりで、補足的な考察を書いてみたい。 宇佐八幡の成立を考えるとき、一般には渡来系氏族である秦氏の関与や、奈良時代以降の国家祭祀化が語られる。しかし、創建当初から宮司として大神氏が存在していた事実は、あまり注目されていない。ここでは「放生会」「疫神祭祀」「大神氏」という視点から、宇佐八幡成立の別の可能性を考えてみたい。
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「菟狭津彦が見た倭国の歴史」取材イラスト展

イラスト展終了のご報告 このたび、3月6日から8日までの3日間、行橋市赤レンガ館にて開催いたしましたイラスト展は、おかげさまで盛況のうちに無事終了いたしました。 本展では、著書執筆の過程で実際に取材した場所の中から20箇所を厳選し、イラストとして再構成・展示いたしました。物語の背景となった土地の空気や歴史の重なりを、視覚表現としてご覧いただく試みでもありました。 期間中は多くの皆様にご来場いただき、また工藤政宏行橋市長にもお越しいただくなど、大変光栄な機会となりました。とりわけ3月7日に開催したギャラリートークには予想を上回る来場者が詰めかけ、作品に込めた意図や取材時のエピソードを直接お伝えできたことは、制作者として大きな喜びでした。
地域活性化

30年集めてきた風景を、未来へつなぐために

最近の創作活動について、 Campfireに一区切りの記録を残しました。 日々の制作や発表は、どうしても完成品だけが表に出がちですが、 実際にはその手前に、考えたり、迷ったり、試したりする時間があります。 今回は、そうした途中の積み重ねを中心にまとめています。 派手な成果報告ではありません。 今どんなことを考え、どんなペースで続けているのか。 自分自身の整理も兼ねた、静かな活動記録です。 現在、Campfireでは支援も募集中です。 創作を継続するための仕組みとして、 興味のある方に覗いてもらえたら嬉しいです。
宇佐津彦ブログ

「菟狭津彦が見た倭国の歴史」取材スケッチ展

「菟狭津彦が見た倭国の歴史」取材スケッチ展を、宇佐津彦清智の現在住んでいる福岡県行橋市赤レンガ館で開催します。全体では150枚くらいのなかで、選りすぐりの20枚のスケッチを解説込みで展示します。
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福岡県知事に献本させていただきました。

9月1日、元県議会議員岡田博利先生のおはからいで、服部誠太郎福岡県知事に「菟狭津彦が見た倭国の歴史」を献本させていただきました。同席の服部夫人とのご挨拶で、出身が同郷であったこともあり、この本に大変興味を示していただいたことを嬉しく思っています。
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